会社案内スタッフ紹介
営業 牛島 大和 Yamato Usijima
令和6年2月に入社いたしました、牛島大和と申します
はじめまして!令和6年2月に入社いたしました、牛島大和と申します。
八尾高校を卒業後、石川県にある金沢工業大学に進学し卒業後は福井県で就職いたしました。そして現在ViVi不動産に入社し富山に戻ってまいりました!
ですので、北陸3県を知り尽くした男であります!
仲間と共に学んだ学生生活
学生時代は、中学では卓球部、高校ではハンドボール部に所属していました。
高校でも卓球を続けようと思っていたのですが、ハンドボール部があるということでどのようなスポーツかも知らなかったですし、観戦したこともなかったのでとても興味を惹かれ部活動見学に行きました。
初めてハンドボールを観戦した感想は、走る、投げる、跳ぶ、の三要素が揃ったスピード感があり、とても迫力のあるスポーツで一瞬にして虜になりそのまま入部しました。
初めはプレイヤーとしてたくさんのゴールを決めてやるという意気込みでしたが、プレイヤーとしては力不足だったため、ゴールキーパーとして配置されました。
ゴールキーパーの印象は、目立たない、痛そう、怖そうなど、ネガティブに感じる要素が多くありました。しかし、実際にプレイしてみるとゴールキーパーの出番がかなり多く、シュートを止めたときの手ごたえや、周りからあがる歓声がとても気持ちの良いもので、それをモチベーションとして日々の辛い練習も乗り越えてきました。試合結果は通算で、良くても2回戦突破という決して誇れる結果ではありませんでした。
しかし、部活動を通して、協調性、思いやり、コミュニケーション能力など様々な力を培うことができ、とても貴重な時間となりました。
軽率な決断。そして厳しい現実
新卒で入社した会社では、コールセンターでの営業と事務に従事しました。
入社して1年で主任、2年目で係長と、昇進し部下を持ちマネジメント業務も経験させて頂きました。(当時はまったくマネジメントできていなかったと思います・・笑)入社してそんなにすぐ役職がつくわけないだろう!と思いますが、私が入社した時で設立10年目のベンチャー企業だったこともあり、役職をいただくことができました。
約2年半働き、仕事にも慣れてきたころ大学時代の友人から「自分たちでお店を開こう」とお誘いがありました。当時の私は「楽しそう」というただただ楽観的な考えで、親に相談もせずにすぐに仕事を辞めました。(今考えるとかなり軽率ですね・・・。)
仕事も辞め、さあ自分たちでお店を開こうというところでしたが、世の中はコロナ真っ只中・・・。
こんな状況で誰がお店を開くのか、むしろ閉店していくお店が多い状況でした。
(なぜそんな状況でお店をしようと思ったのか今となっては謎です・・・。)
結局お店は開かず、知り合いの紹介で飲食業界に就職しました。飲食店では店長として店舗の管理や、スタッフの採用、接客業と様々な業務に従事したくさんの貴重な経験をすることができました。
日々勉強し新しい知識を正しく身に着け、営業として会社、お客様、地域に貢献します!
30歳手前にし、今後のキャリアや、給料面、自分の市場価値などに対して不安がよぎりました。
これから一生この業界に従事し続けるのか?今の仕事を続けて将来後悔しないか?色々と考えた結果、転職を決意しこれを人生最後の転職にするぞと強い意志を持ち、ViVi不動産に入社をすることに決めました。
顧客ファーストな姿勢や、常に新しい知識やITを取り入れ進化し続ける会社、社長の不動産に対する熱い想いに強く惹かれたことが入社の決め手となりました。
不動産業に従事するためには、不動産の知識だけではなく、金融や、法律の知識といった多岐に渡る知識が必要となります。
知識不足や、誤った知識はお客様への多大なる損害や、会社、自分自身の信用に傷がつきます。
そうならないよう、日々勉強し新しい知識を正しく身に着け、営業として会社、お客様、地域に貢献していきたいと思っております!
そして私の営業としての目標は「牛島君に頼んでよかったよ!」「牛島君だから任せたんだよ!」と言われるような立派な営業になることです。
その目標を達成できるように日々精進いたします!
また、私は営業の皆さんが持っている宅建を持っていないので現在取得に向け猛勉強中です。宅建の合格率は約15%~18%です。その狭き門を突破するため、1日1日を後悔なく大切に過ごし必ず今年合格します!
Profileプロフィール
- 【出身】
- 富山県富山市
- 【生年月日】
- 平成8年2月
- 【学歴】
- 八尾高校→金沢工業大学
- 【趣味・特技】
- 筋トレ、カラオケ、お笑い観賞
- 【座右の銘】
- 思い立ったが吉日
- 【取得資格】
- ・不動産キャリアパーソン